バンクシー展を観に

先日、大阪南港に楽しみにしていたバンクシー展を観に行きました。

謎のイギリス人バンクシーについて知る機会でした。私はイギリスの文化に影響されて育った世代なので、例えばビートルズやストーンズ、レッドツェッペリンやクィーン、ロック、パンクの国、パンクの人の音楽やファッションは強烈でした。最近はストリートアートが盛んで2年前に行ったイーストロンドンは街中がセンスよくペインティングされていました。

バンクシーのようなセンセーショナルなアーティストが現れるのはやはりイギリスかと思いました。

イギリスでは既に有名でも日本人にはあまり知られていないので興味ある人は是非、世界を広げるチャンスです。但し、クラッシックや印象派の好きな人達にはあまりおすすめはしません。

そのメッセージに意図があります。日本人の私達はそれをどれだけ受け入れられるでしょうね?

瞑想で冬至を迎えました。

コロナ禍にあり、2020年は世界が混乱してしまいましたが、冬至の朝は清々しく瞑想をしました。自分にとって瞑想とは、ビヨンドディスクリプション、言葉で言い尽くせない、言葉を超えたものである。体験する以外になくて、説明することはそのやり方くらいのものです。

私は20代後半から朝の瞑想を体験しました。1人で行えるようになるまで経験の豊かな指導者や仲間と一緒にすることが大事でした。当初は方法を教わりながら指導を受けましたが、ある程度、経験してからは朝に1人でも出来るようになりました。

その後、毎日というわけにはいきませんでしたが、継続してきました。おかげでその恩寵を授かっていると思えるのは、自我のせいでしょうか?

体験がなければ意味はない。頭で知り得た知識は借り物に過ぎない。インターネットの情報だけで体験したようになるのはおかしい。人は気をつけないと自我意識の虜になりえる。そこから抜けるのも容易ではない。なぜなら自分がいる所を知らないからだ。唯一、瞑想だけがチャンスを与えてくれる。

瞑想をあまりよく知らない人は安心してほしい。なぜならそれは知識でもない。知らなくていい。知っていることなど瞑想的ではないし、新しくもない。瞑想する朝は、毎日が新しい。もしかしたら感覚的には分厚い内容の濃い神秘的な長編小説を読み終えた時に本を閉じた瞬間にやってくる空気のようかもしれない。味わい深い呼吸を出来るだけ長く継続することと、少し違うことは、読書でもなく、瞑想で自然に自分の内側に入り込むことなのかな。

マスクよりシールド

師走は、慌ただしくなりますが、例年になく、静かに過ごされているのではないでしょうか?

コロナ禍にあり、街ではマスクは外出時には必需品となりました。空気をまともに吸えないので、プラスティックのシールドを使うようになりました。呼吸が楽です。

いつまで続くのでしょう?冬休みを利用して海外にバカンスなどは今は幻想てすね。今後の展開が気になります。

どのような世の中になり、どんな時代においても健康ほどに価値あることはありません。経済の健康も大事ですが、それより心の健康、身体の健康は更に重要です。

健康とは、人に建てる。康は、やすらか、健体康心といい、健全な体とやすらかな心という意味があるそうです。

しかし、それも明治以降の言葉で、日本人は、今風に言えば、お元気で、お達者でと言っていたんだとか。

コロナに気をつけるには、お茶を一口飲んで30回噛むか、口内でくちゅくちゃところがして飲むようにいつも私の健康術の時には話すようにしています。お茶の抗ウィルス作用に期待をして、唾液にはもともと強い抗菌力がありますね。

コロナ禍で体操教室を開催していますが、大幅に参加者が減りましたので、今後、リモートワークにしようかとも思っています

皆様、よろしくお願い申し上げます。